家族ネタ、一般的な生活ネタの2chまとめです。
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【ふぁみりー】 「家族愛」を感じた瞬間②

52: 名無しさん@HOME 2011/04/03 00:09:40

かあちゃんがおれに手紙くれた時

もらった時はなんも思わなかったけど、この前受験勉強の息抜きに
机の中見てみたら手紙があった
おれは泣いた

その甲斐あってか受験は合格しました^^



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47: 名無しさん@HOME 2011/03/16 19:37:33

昨日、被災地に行ってきた。
大型トラック乗ってんだけど、自治体からの要請で救援物資を届けに。
出発式典が終わって、トラックに乗り込もうとした時
「パパー!」って。
5歳と3歳の娘が嫁に連れられて見送りに来てくれた。
たくさんの職員さんもいて、ちょいと厳粛な雰囲気だったのに、思わず走って行ってしまった。
空気読めないヤシですみません。

二人を抱きかかえた時、嫁に聞いたんだろう
「パパ、困ってる人をたくさん助けてあげて、パパならできるよ」
ってチューしてくれた。
嫁は下向いて泣いてるし、さすがに嫁にまでチューするわけにはいかないので、ガッチリ握手したら、声震わせながら
「気をつけて...」
って。
まわりからもすすり泣く声。

トラックに乗って、いざ出発。
まだまだ小さい手を目一杯振ってくれる娘たちに、無言で親指を立てて走り去る俺。
昔見た映画、アルマゲドンだったかを思い出しちまった。
現地では物資が足りてないってのに、出発するなり思いっきりティッシュ使っちっまったじゃないか。

嫁もみんなから
「素敵な家族ですね。」
って言われて誇らしかったみたいだ。


53: 名無しさん@HOME 2011/05/02 01:13:29

妹が事故に遭って入院してたとき

妹は事故で顎の骨を骨折してしまい口が開けなかった
会話は筆談で、当然食事も普通にはとれず流動食
お見舞いに頂いたプリンを「私は食べられないから、姉さん食べなよ」ってくれた
プリンもらって、妹はこれすら食べられないんだって思ったら辛くなってきて
ちょっと前に妹が、「味ないし、ご飯食べられないのが辛い」的なことも言ってたから
「私の口の感覚と○○(妹)の感覚が繋がってたらいいのに……」
って言ったら妹が
「繋がってたら姉さんも痛いからダメ」って紙に書いてくれた
私はすごく泣きたくなって伸ばしてきた妹の手をぎゅうぎゅう握ってた

多分「(私)のせいじゃない」って否定されるだろうから誰にも言えないけど
あのときの事故は私が目覚まし掛け忘れたせいで
朝ギリギリに出発したから朝食が食べられなかったために
妹の判断力とかが鈍ったせいもあると思ってる


だがしかし、町の駅伝大会中で走行禁止になってた区間に入ってきた車の運転手と
それを見逃した大会の係員のことは一生許すつもりはない


55: 名無しさん@HOME 2011/06/27 00:27:53

さりげなく前の日に語った自分の好きな食べ物を買ってきてくれる
自分は頼んでもないし、買ってあるよ、とも言ってこない
朝起きてそれを見たとき毎回嬉しさと涙が出る
恥ずかしくてお礼も言えない娘でごめんなさい。


56: 名無しさん@HOME 2011/07/29 01:40:48

彼の転勤を機に私は仕事を辞め遠方へ嫁ぐ事になった。
結婚が決まった日から、甲斐甲斐しく身の回りの物や食器などをかき集めて、式の準備もあれこれしてくれる母。いろいろと買って用意してくれる。休日よく買い物やランチなんか誘ってくれてたけど、最近は毎日のように誘ってくれる。

家族みなで外食に誘い、ホームセンターで手作りの棚を嫁入り道具にしてくれる父。
両親ともノリ気に見えてたけど、遠方じゃなくて、近くに住めなかったのかと心配してたと弟から聞いて涙が…行く前からホームシック。

お母さんお父さん今まで大切に育ててくれてありがとう。
ちょっと口うるさかったけど、お母さんのような母親になりたい。
会えなくなる訳じゃないけど、車で片道5時間。電車で万単位。
休日にフラッと一緒に買い物行けないのがこんなに寂しいなんて。
お母さんのみそ汁好きだよ、当たり前みたいに食べててごめんね。美味しいっていっぱい言ってなくてごめんね。
ちなみに転勤先は、旦那の実家。
一足先に地元に帰り、新居でプレ一人暮らしするも友達呼んだり休日は実家へ行き、仕事中は義母さんが合鍵で掃除、洗濯、ご飯作り置き。
別にいいけど、私も実家帰りたい。


57: 名無しさん@HOME 2011/09/01 12:21:21

今さっき親父に会ってきた。
貧乏で金ないくせに一万手に握らせて明日の誕生日に好きなもん買えだってさ。
断っても何回も渡してくるんだ、相変わらず意地っ張りで見栄張りで頑固な親父だ。
俺は何もしてあげられてないのに、なんで親父はいつも俺にいろいろ良くしてくれるんだろうか
なんだかとっても実家が恋しくなった。来月は親父の好きな酒とつまみもってかえれるといいなあ。


親父に会ってちょっと泣きそうだったとか内緒


58: 名無しさん@HOME 2011/09/03 15:15:55

最近、実家で母親と昔語りをした時のこと。

私は中学の頃いじめられていて、とにかく毎日がイヤだった。
周りが何にも見えなくなって、毎日死ぬことばかり考えてた。
でも、母親がいち早く気づいてくれて、味方についてくれた。
あれは本当にありがたかったとか、そんな話をしていた。

当時、いじめの話は母親にしかしていなかったんだけど、
実は弟が気づいていたらしい。誰にいじめられていたのかも。全部。
よっぽど殴りこみに行ってやろうかと思っていたらしいが、
そんなことしたら私がますますいじめられるかもしれない、
だからできない、悔しい、と涙ぐみながら話していたそうな。
その話聞いたとたん、涙腺が決壊した。もう、号泣。

あいつずっと知らん振りしてやがった。
気づいてるそぶりなんかかけらも見せなかったじゃないか。
いつもどおりにバカやったり憎まれ口叩いたり、一緒にゲームしたり。
私が余裕なくてシカトしてても普通にしてたじゃないか。
全部知ってたのかよ。隠してたつもりの私バカみたいじゃねーか。

悔しいから礼なんか言ってやらないけど、次に実家帰るときは、
弟の好物をいろいろ取り揃えて買って帰ろうかと思う。
何故姉が急に好物を買ってきたのか、勝手に悩めw


59: 名無しさん@HOME 2011/12/03 23:41:52

長文すみません。

祖母の話

祖父母は40歳を超えてから母をもうけたので、私が生まれた時には祖父母は70歳を超えていて、老人二人では心配だからと同居になった。
サザエさんと同じで、カツオとワカメがいない状態。

祖母は躾や礼儀に本当に厳しくて私には疎ましい存在だった。
思春期になると両親+祖母でガミガミ言ってくるから、家が嫌で仕方なかった。
(祖父は思春期前に亡くなった。優しいじーちゃんだった。)
家を出るために実家から遠い所に就職。

私が家を離れると祖母は張り合いを無くしたせいか、ボケた。
でも私は家族の一大事も知っていながら見ないフリをしていた。


60: 59 2011/12/03 23:43:57

そんな状態が数年続いたが、私が地元の人との結婚が決まり、仕事を辞めて帰って来ることになった。
帰ってきた次の日、祖母は実家で転倒し大腿骨を骨折→入院→手術となった。
その時母の入院・手術も重なっていて、母には父、祖母には私が付き添う事になった。
祖母は病室で舌を噛み切ろうとしたり(総入れ歯だったから、入れ歯も入ってない歯茎では無理)、
尿導管や点滴、酸素吸入など体についてる管を全部引き抜いたりして、付き添いは本当しんどかった。
母は何年もこんな思いをしていたのかと今更ながらに気づき、正直祖母さえいなければ…と思った。
手術は成功したけど、歩けなくなったことでボケは加速。
自宅ではみられなくなり、老人ホームのお世話になることに。
私は母が祖母から解放されると思ってホームに入るのは本当に嬉しかった。


61: 59 2011/12/03 23:45:03

しかしすぐに祖母は風邪をこじらせ肺炎になりまた病院へ入院。
祖母がもうそれほど長くはないことはわかった。
その頃私は妊娠。
祖母に「妊娠したんよ。お腹に赤ちゃんがおるんよ」と報告すると、
それまで焦点があわずぼーっとしていたのに、私をみて
「○○美(私の名前)、○○美」と何度も何度も繰り返した。
結局それが最後の言葉で、2日後祖母は息を引き取った。


あの時お腹にいた赤ちゃんは無事に生まれ最近ヨチヨチ歩きをはじめた。
今日、子供がイタズラをしたから真剣に叱った。
子供がかわいいから叱るって、こんなにも力がいるとは知らなかった。
この事に気がついたら、自分がどれだけ祖母に大事にされていたかを今更、本当に今更知った。
あれだけ口煩く私を叱ってくれてたのは私を思っていたからだったんだと涙が止まらなくなった。


62: 名無しさん@HOME 2011/12/05 14:42:51

お祖母さんはあなたに何を伝えたかったんでしょうね…。
『妊娠』という言葉を聞いて、あなたが小さい時の頃の思い出が頭を過ぎっていたのでしょうか。
親になって自分を育ててくれた人たちへの感謝の念が込み上げる。
私もそんな日々を送っています。


63: 59 2011/12/07 15:28:31

>>62
祖母は戦争で結婚が遅くて、40歳を過ぎてはじめての妊娠で母を産みました。
妊娠・出産で色々怖い思いをしたそうです。
なので私の名前を呼んだ時は、私の身を案じてくれたのだと思います。

本当になぜ今になって気づくのでしょうか。
もっと早くに祖母の優しさに気づいていれば、疎ましく思うことなく大事にできたのに…

変わり、といっては失礼だと思うのですが、私の両親・夫の両親はできるかぎり大事にしようと思っています。
おっしゃられるとおり、親になって周りの人の有り難さを感じます。


68: 名無しさん@HOME 2012/06/11 01:10:56

ついさっきのこと。

風呂から上がるなりお腹が痛くなって、ダッシュでトイレに駆け込んだ。
腸が弱い自分は「またかよー」ぐらいだったんだけど、事態は急変。
激しい腹痛、目眩、吐き気が起き、体は震え、手足が痺れだす。
目の前が白く感じて、ヤバいと思った自分は持ち込んでた携帯で母親に電話した。

実は昨日、母親と喧嘩してから一言も喋ってなかったんだよね。
向こうは話しかけてくるけど、自分はひたすら無視し続けてた。

そんな自分からのSOSに、慌ててトイレのドアを叩く母親。
震える手で鍵を開けると、その手を掴んで必死に話しかけてきた。
大丈夫!?とか、まだ痛い!?とか、言ってる間ずっと手握ってんの。
もうね、痛さと嬉しさと後悔が混じってどうしようもなかった。

次第に状態はよくなり、母親に体を支えてもらいながらトイレを後にした。めっちゃ介護されてるなぁと同時に、どんだけ心配かけたか実感。

今まで無視し続けてごめんね。
いい大人なのに迷惑かけてごめんね。
助けてくれてありがとね。
嬉しかったよ、お母さん。


70: 名無しさん@HOME 2012/07/26 17:29:26

先日、母方のじいちゃんが天に召された。なんか日本でも発症例がごくわずかな珍しい脳の癌だったらしい。
今年の2月に激しい頭痛を訴えて病院へ向かった時にはもう
どうしようもない状態で医者から「いつどうなってもおかしくない」と言われて
うちら家族も覚悟を決めていた。

じいちゃんは地元の観光地で定食屋をやってて、とにかく頑固者だった。正月や盆
にはおかんとおれと弟と三人で毎年店に泊まるが楽しみで仕方なかった。頑固者で
怖いイメージしかないじいちゃんだったから、店に並んでるおもちゃをおねだりす
る時はそりゃもう決死の覚悟だったなw

時は過ぎておれは新卒で就職した会社でトラブルが続きうつ病になった。

頑固者で甘えや妥協を絶対許さないじいちゃんには当然うつ病のことは隠して
た。でも、日を追うごとに症状は悪化し回復の目処はまったく見えなくなった。

もう隠し続けるのは無理だろう…観念してじいちゃんに全てを話すことにした。
地元の喫茶店でおかんも入れて三人でコーヒー飲みながらうつ病のことを洗いざらい
話した。もういつ鉄拳が飛んでくるかと冷や冷やしてた。

でも、じいちゃんは「そうか」といいながら静かにこちらの話を聞いてくれる。大方
の話を終えたところでじいちゃんが「無理はするなよ。負けたらいかんぞ」と
言葉をかけてくれた。優しく笑いながら。

その時はただただほっとしたっていう覚えしかなかったんだけど…葬式でじいちゃん
の遺影を見たときに気づいた。

じいちゃんの遺影はその時おれに向けてくれた顔とまったく同じ顔だ。遺影に使った
写真は店の大ファンだったお客さんが撮ってくれたものらしい。
この顔は身内でもあまりみたことがないらしく「本当にいい顔だ」と式に参列した皆が言っていた。

式の時は忙しくてあまり思い出に浸る余裕もなかったけど、こうして日常に戻ると色んな思い出が蘇って涙が止まらん。


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[ 2013/03/02 11:11 ] ふぁみりー | TB(0) | CM(0)
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